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リストカット(手首自傷症候群)

 これは自分を傷つける自傷行為の中でも、特に刃物で手首を切る行為のことを言います。1960年代にアメリカで大流行し、それが世界的に拡がってゆきました。リストカットに付随する症状としては、神経症、摂食障害、薬物依存、引きこもり、性的逸脱、鬱病、などがありますが、境界例と診断されるケースが多いようです。類似の自傷行為として分裂病の末期症状によるものなどがありますが、これは幻覚や妄想によって引き起こされるもので、自傷内容としては非常に凄惨で残酷なものが多く見られます。

 リストカットは主に十代から二十代の若者に多く見られ、中でも特に未婚の女性に多く見られます。傷のほとんどは手首の内側で、1~3回試みた傷が多いようです。手首の他には、腕、足、顔、腹部などを切ることもあります。リストカットは繰り返されることが多く、習慣化する傾向があるようですが、その割りには自殺にまで至るケースは少ないようです。

 どのような場所でリストカットを行なうのかというと、人前で実行するケースは少ないようで、自宅の部屋などで一人で実行する事が多いようです。治療については、支持的な精神療法が効果があり、ほとんどの症例で自傷行為は治っています。

 

リストカットの原因

 原因はなにかと言いますと、分離不安です。乳幼児期のような母親との一体感を求めるのですが、そういった愛情対象が失われたと思ったときに、リストカットという行動化が発生します。たとえば「理解してもらえなかった」とか「裏切られたと思った」とか、そういったささいな出来事をきっかけとして手首を切ったりするのです。そして、その背後には強い見捨てられ感や分離不安が存在しているのです。これは不安定な母子関係によって、精神的な乳離れが出来ないままに成長したことによるものです。そして、こういった分離不安は直接的な形で現われるのではなくて、分離不安に対する防衛機制(自分をごまかすメカニズム)という形で現われてきます。この防衛機制としては主に以下の四つがのパターン考えられていますが、本人にとっては、なぜ手首を切るのかという動機ははっきりと意識されることはなくて、ただやむにやまれずにリストカットに及ぶというケースが多いのではないかと思います。

 

ヒステリー機制によるリストカット

 これは、母親や周囲の人たちの注目を集めようとして、リストカットに及ぶものです。「退行の論理」のところにも書きましたように、母親や周囲の人たちから赤ん坊のように扱ってもらいたいという願望が潜んでいるのです。そして、乳幼児期のような、自分と他人の区別のないような一体感を得ようとしているのです。しかし、当然のことながら、現実にはそんな願望はなかなかかなえられませんので、本人は「誰も自分のことを分かってくれない」ということに傷ついて、強い喪失感に襲われます。同時に、このような愛情対象を失ってしまったという喪失感に堪えられずに、何とか愛情対象を取り戻すことを試みたりします。そして、手首を切ることで、母親や周囲の人たちを心配させたり困らせたりして、そのことによってみんなの関心を自分だけに釘付けにしようとするのです。しかし、みんなの関心を自分だけに釘付けにしたいという本当の狙いはあまり意識されことは無くて、本人の意識としては傷ついたことによって、やむにやまれないような気持ちになってリストカットするのです。あるいは、何とかして自分の気持ちを分かってもらいたいという、その一心で手首を切ったりします。ただ、本人は強い見捨てられ感を潜在的に持っていますので、ささいな出来事がきっかけとなって、すぐにリストカットに及んだりするのです。

 このような自虐的な行動によって周囲の人をコントロールしようとする試みは、リストカットだけではなくて、拒食症などにも見られます。食事をとらないことで親を心配させ、そのような形で親をコントロールしようとするのです。そして、赤ん坊のころのような、母親との自他の区別のないような一体となった世界を再現しようとするのです。親が心配して、何とか食事を食べさせようとすればするほど、狙いが的中したことになり、ますます症状が固定したものになっていきます。かと言って放っておくわけにいきませんので、非常に難しい状況が出現します。しかし、本人としては、本当の狙いは無意識の世界に追いやられていますので、ただどういうわけか食べる気になれなくて、そのことで悩むのです。あるいは逆に、痩せることが自分の中で不自然なまでに美化されたりするのです。

 さて、リストカットを何回も繰り返していると、やがて周囲の人はその演技性に気付くようになり、「またか」と言うふうに、だんだんと関心を持たなくなっていきます。そこで、他人との一体感を得るために別の心配してくれる人を探し出して、その人に分かるようにしてリストカットするのです。その人が驚いて大騒ぎしてくれればいいのです。そして、本気で心配してくれればいいのです。本人にとって、心配してくれる人というのは自分のことを分かってくれる、非常にありがたい人なのです。つまり「心配されること」=「理解されること」と言う図式になっているのです。ですから、もし誰も心配してくれる人がいなくなったとしたら、本人は本当に絶望してしまい、本当に自殺してしまうことがありますので要注意です。
 リストカットの患者を安易に入院させたりすると、それが母親や周囲の人との物理的な分離を招くことになりますので、愛情対象を取り戻そうとして病院内でリストカットが頻発することがあります。毎日何人もの患者が手首を切ったりすると、いちいち外科に回していたのでは間に合わなくなり、精神科医が自分で手首の縫合手術をすることもあるようです。そうすると、精神科医なのに傷口を縫い合わせるのがやたらとうまくなったりする人も出てくるようです。
 なお、人間関係の操作については、「思考と行動の問題点」の所で、いくつかのパターンに分けて詳しく書く予定です。

 

手首の人格化によるリストカット

 これは自分の手首を親などに見立てて、自分を見捨てた事への怒りをぶつけるのです。この怒りが自分の手首ではなくて、直接親にぶつけられた場合は家庭内暴力という形になるのですが、怒りを外に向けることが出来ずに自分自身に向けたりすると、リストカットなどの自傷行為となったりするのです。ですから、女性の方がリストカットをする人が多い理由がここにあるのです。つまり、女性の方が男性よりも攻撃性を外に向けにくいということが関係しているのです。男性だったら親を殴ったりするところを、女性の場合にはそういう派手なことはやりにくいですので、攻撃性が内向し、手首を憎い母親などに見立てて、何度も切り刻んだりするのです。そして、このような屈折した形ではあっても、攻撃性が発散されることになりますので、ある種の精神的な開放感を得ることが出来るのです。

 また、手首は、憎い親を表わしているだけではなくて、自分自身を表わしていることもあります。つまり、親から見捨てられてしまうような、なんの価値もない自分自身を手首に映し出して切り刻むのです。これは、見捨てられて敗北者となった自分自身を罰するという、自己処罰の行為です。また、このような自己処罰は身体から悪い血を抜くという意味を持っていることもあります。手首からぼたぼたと流れ出る赤い血が、愛されることのない醜い自分を象徴していたりするのです。ですから、このような悪い血を外に出すことで、精神的に解放されようとするのです。

 このような自己処罰は、一方で自分を見捨てようとする親の意志に忠実であろうとする意味もあります。つまり、親が自分を見捨てようとしているのだから、その期待に応えて、自分でも自分を見捨てようとするのです。そして、手首(自分自身を表わす)を切ることで、見捨てようとしている親の考えを実現します。そして、このような自虐的な行為によって、親との一体感を得ようとするのです。

 このような屈折した形で手首を人格化するのであれば、反対にリストカットを止めるような形で、意図的に人格化することも出来ます。たとえば手首の身になって、自分自身に語りかけてみるのです。

 私は、あなたの手首です。
 私だって生きたいんです。
 これ以上私を切らないで下さい。
 私の面倒を見てくれるのは、この世にあなたしかいないんです。
 お願いです、私をもっと大切にしてください。
 私だって、あなたに愛されたいんです。
 どうか私を見捨てないで下さい。
 私だって生きたいんです。
 もっとあなたに愛されたいんです。

 そして、もし、手首を切りたいという衝動に駆られて、自分でもどうしようもなくなったら、冷蔵庫から氷を一個取り出して、掌の中で力一杯握りしめてみてください。その冷たさから来る痛みが、自虐的な攻撃衝動を中和してくれることでしょう。

自我機能を回復するためのリストカット
 見捨てられ感から来る空虚さが高じてくると、自分が自分でないような感覚と言いますか、自分が非現実的な世界にいるように感じられてくることがあります。このような精神状態から「我に返る」ために、手首を切ることもあります。あるいはもっと進んで解離状態となり、催眠術にかかったようなトランス状態から手首を切ることもあります。そして、血の流れる出る手首を見て初めて我に返ったりします。その後は、すべてをやり終えたとでも言うような、非常に安らかな精神状態となり、まるで満ち足りたような満足感を示したりします。後で本人に手首を切ったときの状況について聞こうとしても、トランス状態にあったために何も覚えていなかったりします。人によっては手首を切るのではなくて、タバコの火を身体に押しつけることで我に返るというパターンを取ることもあります。

 世の中には変わった人がたくさんいますが、中には切腹マニアと呼ばれるような人たちがいます。このような人たちは、実際に切腹するわけではなくて、空想の中で、切腹せざるを得ないような極限状態を想像して、エクスタシーに浸るのです。たとえば、城が敵に攻められて、炎と煙に包まれて「もはやこれまでか」という場面を思い描いたりするのです。そして、腹にサラシを巻いて、赤チンを垂らし、臨場感を出しながらオモチャの刀などで腹を切って、極限状態の快感を味わうのです。リストカットをする人の場合には、このような極限状態への自己陶酔が、無意識レベルで行なわれているのではないかと思います。切腹マニアの人たちは、空想と現実の区別がついているのですが、リストカットをする人たちは、空想ではなくて現実にこの世から見捨てられてしまったように思い込んでしまいます。そして、催眠術をかけられたようになってしまい、本当に手首を切るのです。ですから、手首を切った時には、切腹マニアよりもずっと大きな快感が得られるのではないと思います。このような、リストカットという極限状態への自己陶酔も、自分が自分であることを確認するための手段となっているのではないかと思います。

 このような自分自身を取り戻そうとする試みは、自分の存在感が希薄になった時に、手首の傷痕について周囲の人に語るという形で現われたりもします。手首の傷だけが、自分が自分であることを証明する唯一の証拠となっているのです。ですから、手首にいくつも刻まれた傷痕に、精神的に依存したような状態になったりするのです。ちょうど軍人が胸に付けた勲章を誇りに思うように、リストカットを繰り返す人たちは、非常に屈折した形ではありますが、傷痕を精神的な苦しみから生み出された勲章であるかのように思ったりします。あるいは、医師から処方されたたくさんの抗精神薬に心理的にしがみつくことにより、まるで収集家が自慢のコレクションを披露するかのように、薬の名前を周囲の人に語ったりします。本人にとっては、傷痕や薬を誇示することが、精神的な空虚さに対抗するための唯一の手段であり、心の拠り所ともなっているのです。ですから、周囲の人から見ると、不幸を自慢しているようなわざとらしさを感じることもありますが、本人にとってはやむにやまれぬ行為なのです。

 

否認と逃避からのリストカット

 これは、分離不安に直面するのを避けることを目的としています。何かの拍子に見捨てられ感に襲われた時に、リストカットをすることで、そういった辛い思いを振り払い、思考回路から切り離そうとするのです。

 以上のような四つのパターンは、それぞれが単独で現われることもありますが、複数の動機が混合した形で現われることもあります。そして、これらの防衛機制の背後に潜んでいるのは、愛情対象の喪失であり、分離不安から来る精神的な自立への拒絶なのです。あるいは、精神的な乳離れへの拒絶とでも言った方が分かりやすいでしょうか、そういったものがあるのです。こういう人は、成育過程で母親との関係が不安定だったために、自分が愛されて受け入れられているんだという確信を持つことが出来ず、常に見捨てられるのではないかという不安を抱えているのです。ですから、精神的な乳離れをしろと言っても、それは本人にとっては激しい不安や恐怖感を伴いますので、なかなか出来るのではありません。ですから、治療においては、もう一度成育過程をやり直して、自分は愛されていんるんだ、受け入れられているんだという確信を持てるようにしなければなりません。そして、分離することは見捨てられることにはならないんだということを、さまざまな治療技法を使いながら、少しずつ理解できるようにしていかなければなりません。そして、精神的な乳離れを後押ししてやり、自我の確立を促すのです。

 リストカットをする人は、自分で問題を何とかしようとするよりは、なるべくなら治療を受けた方がいいでしょう。特に、何回も繰り返すような人の場合は、ぜひ治療を受けることをお勧めします。