恋愛依存症ー共依存

 共依存を理解するために、まず、アルコール依存症者と、その周りの人たちとの関係を考えてみましょう。たとえば、夫・妻・息子という3人家族がいて、夫がアルコール依存症者だったとします。その場合、夫が原因となる、妻・息子への悪影響には、どのようなものが考えられるでしょうか。よくあるパターンとしては、酒を飲むと暴れ出し、暴力をふるう(身体的暴力)、仕事をサボったりすぐにやめたりするために、生活費がもらえない(経済的暴力)、夫や父親として当然与えるべき愛情を家族に与えなかったり、子どもとの関わりを放棄したりする(ネグレクト・精神的暴力・虐待)などがあります。このようにして、周りにいる人たちは、何らかの被害を受けるのです。

 たとえ、離婚などで物理的に離れても、精神的な傷は長期間にわたって残ることになり、特にそれが子どもの場合、その傷は一生尾を引くことも珍しくありませんン。一家族からアルコール依存症者が出ると、その影響は、少なくとも三世代にわたると考える研究者もいるほどです。この場合、誰が悪者なのかは非常に分わかりやすいと思います。悪いのはアルコール依存症者であって、周囲の人や自分自身を害しながらも、お酒をやめることができない、その人自身が問題なのです。

 ですが、ここでいったん立ち止まって考えてみましょう。とにかくお酒を飲み続け、飲んでいないときもアルコールのことばかり考えている人が、いったいどうやって1人で生活してゆけるのでしょう。仕事をまともにこなすことができないのに、どこから酒代や生活費を調達しているのでしょう。掃除・洗濯・食事の用意などの日常的なことは、いったい誰が行なっているのでしょう。もうお分かりですね。アルコール依存症者の周りには、その人がアルコール依存症であることを可能にさせている人がいるのです。

 アルコール依存症の夫は、1日中家でお酒ばかりを飲んでいます。仕方がないからと、妻が働きに出て家計を支えます。夫がシラフのときに、妻が「お願いだから、お酒をやめて働いて」と懇願すると、夫は「分かった。そうするよ」と言い、一時的にその願いを受け入れます。しかし、仕事から帰ってくればいつもどおり酔っ払っていて、「酒を買って来い!」と怒鳴り散らします。怖いですし、お酒が入りさえすればおとなしくなるので、妻は「今日だけは従おう」とお酒を買いに行きます。そして翌朝、また「お願いだから…」というやり取りを繰り返すのです。もし妻が、夫の面倒を一切放棄したらどうなるでしょうか。夫はお酒を飲み続けることができなくなるはずです。つまりこの場合、妻も、アルコール依存症者からの依存を許しているということになるのです。

 もう少し踏み込んで考えてみましょう。妻は、夫がお酒をやめることを本当に望んでいるでしょうか。もし、本当にやめてほしいのだとしたら、なぜお酒を飲ませるのでしょうか。こんなに苦しい状態なのに、別れようとしないのはなぜでしょうか。どうして改善に向けた行動を何も起こさないのでしょうか。「愛しているから」「かわいそうだから」「怖いから」「私さえ我慢すればいいから」など、妻は必死で説明してくれるかもしれません。しかし実は、妻も夫に依存しているのです。「依存している」という言葉を、「必要としている」という言葉に置き換えてみると分かりやすいかもしれません。アルコール依存症者だけが周囲の人に依存しているのではなく、互いに「依存し合っている関係」こそが、共依存なのです。

 共依存関係にある人は、まるで「親と子」のような関係で固定化されています。先ほどのケースでは、妻が面倒をみてあげる「親」で、夫は面倒をみてもらう「子ども」です。2人はこの関係で安定しているのです。共依存関係の2人は、このパターンが心地いいというよりも、このパターンでなければ精神的な安定が得られない状態になっています。もしも、夫が奇跡的にお酒をやめるようなことになったら、この安定した関係は崩れてしまいます。そうなると、信じられないかもしれませんが、妻は、途端に夫に興味を失ってしまうか、もしくは夫が再びアルコール依存に陥るようしむけてしまいます。「あなた、最近頑張っているから、たまには好きなだけお酒を飲みましょうよ」ということを言うケースもあるのです。何とかして昔の安定した関係を取り戻そうと、妻の中にある無意識の強い欲求がそうさせるのでしょう。

 これらのことは、恋愛関係にも当てはまります。はたから見たら「加害者」と「被害者」であっても、心の奥底では、お互いがそれぞれその立場(加害者と被害者)であることを必要としているのです。まず、この関係性に気づくことが、回復の第一歩となります。

 

共依存のタイプ

以下に、共依存的な恋愛の主な特徴をあげてみます。それぞれの項目で3つ以上当てはまる場合は、その傾向が強いと言うことができます。あなたはいくつ当てはまりまるでしょうか?

■「必要とされる」ことを必要とする

1.手紙・電話・メールなどが来ないと、ひどく落ち込んでしまう。もしくは、電話をする約束をしたわけでもないのに、相手から電話が来ないと「なんでかけてこないんだ!」と憤りを覚える
2.「自分が相手のことを好きかどうか」よりも「相手が自分のことを好きかどうか」の方に重きを置く
3.「好き」「愛している」「あなたが必要だ」などの台詞に非常に弱い
4.「いつか相手は自分を必要としなくなり、どこかへ去っていくのではないか」というような、漠然とした不安に襲われることがある
5.何かと頼み事をされると嬉しくなってしまう
6.相手の悩みや問題が解決されていくのを見ると、表面的には喜んでいるようでも、内心ではがっかりしていることがある
7.孤独に弱く、常に誰かと一緒にいないと不安になってしまう

 この項目に多く当てはまる人は、相手が自分を必要としているということが分かれば、大きな充実感や安心感を覚えます。自分の存在価値が証明されたかのように感じるからです。逆に、相手が自分を必要としているという手がかりがないと、激しく落ち込んでしまいます。自分の存在価値が証明されず、無価値であるかのように感じられるからです。つまり、自分の存在価値が他人次第になってしまっているのです。

■「救済者」になりたがる

1.「こうした方がいい、ああした方がいい」と、つい人にアドバイスをしてしまう
2.相手が悩んでいるのを見ると、内心嬉しくなってしまう
3.人の世話を焼いているときに、一番の充実感を覚える
4.頼まれたわけでもないのに、相手の悩み事に対して、「自分が何とかしてあげなくては」という使命感に駆られる
5.「この人を助けてあげられるのは自分しかいない」と思うことがある
6.自分がしたアドバイスに対して、相手が実行してくれなかったり、感謝してくれなかったりすると、がっかりしたり憤りを覚えたりする
7.「救うべき人(悩んでいる人)」や「自分のアドバイスを聞いてくれる人」が周りにいないと、退屈さや虚しさを感じてしまう

 この項目に多く当てはまる人は、悩んでいる人や困っている人を、自分の力で救いたいという強い衝動に駆られます。「このようなことは全くない」という人はほとんどいないと思いますが、このタイプの人は、その欲求が並はずれて強いのです。「人助けをすることはいいことだ」というレベルではなく、「人助けをしていないと心の安定が保てない」というレベルなのです。相手を救うことができたときは、とてつもない快感を覚えますが、救うことができなかったときは激しく落ち込みます。恋愛相手としても「問題を抱えた人」を選ぶことが多い傾向があります。理由はもちろん、「救いがいがある」からです。

■相手を放っておけない

1.悩んでいる人や困っている状況にある人を見ると、その人のことが気になって仕方がない
2.相手の問題を自分の問題として捉えてしまう
3.他人の問題に深入りしてしまうことが多い
4.自分のことよりも、他の人のことを考えているときの方が多い
5.「あの人は自分がいなければダメになってしまう」と考えたことがある
6.相手がどうすべきなのかを知っているのは、相手よりも自分の方だと思うことがある
7.相手が今どんな状況にいるか、今日1日どんなことをしていたのかなどが、気になって仕方がない

 この項目に多く当てはまる人は、一見、他利心が強いようにも思えます。しかし実は、「相手を放っておけない」というのは「相手をコントロールせずにはいられない」ということでもあるのです。「相手がこれからどうやって生きていくかも、自分が決めなくてはならない」と思い込んでいるのです。これらの支配は、決して成功することはありません。努力し続けた後、蓋を開けてみれば、支配しようとした自分自身が、相手に振り回されていただけという結果になっていたりします。この傾向が強い人は、1週間でいいので、一度、相手に口出しせずに、ただ見守るということをしてみてください。きっと、自分自身が不安でたまらなくなってしまうのではないかと思います。

■自分を常に後回しにする

1.相手の些細な言動や行動を、いちいち気にしてしまう
2.相手がつまらなさそうにしていたり、機嫌が悪そうにしていたりすると、すぐに「自分のせいだ」と感じてしまう
3.「どうすれば相手を喜ばせることができるか」ということばかり考えてしまう
4.楽しいことをしたり、幸せな気分でいたりすると、ふと罪悪感が頭をよぎることが少なくない
5.「自分さえ我慢すればいい」という気持ちから、言いたいことややりたいことを我慢したり、波風を立てまいとしていることが多い
6.褒められると、やっきになって否定したり、居心地悪く感じてしまったりする
7.人前では、自分の本音を隠したり、演技をしてしまったりすることが多い

 この項目に多く当てはまる人は、自分の幸せに罪の意識を持っていることが多く、他の人を幸せにすることができたときのみ「特例」として幸せを感じることが許されます。自分のことを無価値な人間だと思い込んでしまっているため、お互いに譲り合うといったことができず、強迫的に、自分よりも相手のことを優先させてしまうのです。

■現実を見つめることができない

1.多くの友人から「別れた方がいい」と言われているのに、なかなか別れることができない
2.相手をかばって、周囲に嘘をつくことがある
3.相手に何か問題があることに気づいても、「たいしたことではない」と自分に言い聞かせてしまう
4.辛さや苦しみがあっても、「愛しているから仕方がない」などと我慢してしまう
5.本当の彼(彼女)を分かってあげられるのは自分だけだと思う
6.「今は辛いけど、そのうちきっと物事はいい方向に進み出すはずだ」と、根拠もないのに思い込もうとする
7.自分がもっと努力をすれば、事態はきっとよくなっていくと思う

 この項目に多く当てはまる人には、次の3つのポイントがあります。1つ目は「否定」です。問題を指摘されても、「そんなことはない」という否定の発言を繰り返します。2つ目は「合理化」です。何か問題があったとしても、最もらしい理由づけをして、何とか納得しようとします。3つ目は「非現実的な期待感」です。何らかの偶然や奇跡の力で、物事がいい方向に進むはずだという、根拠のない期待感を持っています。

 

回復方法

 共依存からの回復はとても大変です。共依存は、心の中にある無意識の領域に書き込まれたプログラムであるため、自分がそうであると気づくことも、どうしてそうなったのかを知ることも難しいからです。共依存を根本から回復させることは、時間も労力もかかる大変な作業ですが、次にあげる3つの言葉を頭に入れて、自分自身と戦うための武器にしていただければと思います。

1.安定

 家庭の中で身につけてきた人との関わり方のパターン、自分が唯一知っていて慣れ親しんできた生き方というものがあります。その生き方をしているとき、あなたは最も「安定」できるのです。はたから見ると「どうして?」と思われるような恋愛でも、あなたにとっては、一番安心できる愛の形なのです。その安心を求めて、本当は自から辛い恋を望んでいませんか?このことを認めるのは、とても辛く苦しいことですが、そこから全てが始まります。

2.再挑戦

 過去にやり残してきた仕事をやり遂げるために、似たタイプの相手を選んでしまうことがあります。たとえば、母親を救えなかった人は、母のようなかわいそうな女性を、アルコール依存症の父親を持った人は、同じくアルコール依存症の男性を選ぶなどです。それをやり遂げようとしている人たちは、決して叶わぬことに挑戦し続けているということになります。このことに気づけたなら、また一歩、新しい段階に進むことができるでしょう。

3.アッパーリミット

 「アッパーリミット」とは、肯定的なエネルギーの増加を制限する心の作用のことを言います。簡単に言うと、「耐えることができる幸福の上限」ということです。共依存症者は、このアッパーリミットが低いと考えられています。「幸せは長くは続かない」といって自分からその幸せを壊してしまったり、「どうせいつかは恋人に捨てられるんだから、こっちから捨ててやろう」と思ったりしてしまうことはないでしょうか。「なぜ自分は幸せを信じられないのか」「なぜ幸せであってはいけないのか」を考えてみましょう。あなたは幸せになっていいのです。「私は幸せになっていい」と、何度も自分自身に言い聞かせてあげてください。幸せになることを自分自身で許してあげられるようになることが、とても大切なステップになります。

参考資料
『共依存』については、ACその他のカテゴリーにも掲載がございます。そちらも合わせてご参照ください。
ACの『共依存』ページへ

 

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